「療育に行ったら健常児だった」と言われたら?通わせた意味を疑ってしまった母の話
療育に通っているのに「うちの子、健常児だったのでは」「意味がなかったのでは」と不安になっている親御さんへ。ADHDとASDのある息子を療育センターと通級に通わせてきた母が、その不安の正体と、通った時間が無駄にならない理由を体験からまとめました。
療育に通いはじめて何ヶ月かたった頃、ふと思ったんです。
この子、本当に通う必要があるのかな、って。
そのとき息子は、療育の部屋ではわりと落ち着いて過ごせていました。
先生ともにこにこ話していて、家で見ている大噴火とは別人みたいで。
「あれ、思ったより大丈夫そう」と思ったのと同時に、「じゃあ今までのは、私の心配しすぎだったの?」という気持ちがきました。
同じところで立ち止まっている親御さん、けっこう多いんじゃないかなと思います。
この記事では、その不安の正体を、当時の私が知りたかった順番で整理してみますね。
「健常児だった」という言葉が、なぜこんなに刺さるのか
「療育に行ったら健常児だった」で検索する人の気持ちって、たぶんひとつじゃないんですよね。
私が自分の中で見つけたのは、この3つでした。
- 通わせた時間とお金が、無駄だったのかもしれないという不安
- 大げさに騒いだ親だと思われたくないという、まわりの目
- 「うちの子は違う」と言われて、ほっとした自分への後ろめたさ
3つめが、いちばん言葉にしづらいところかなと思います。
心配していたのに、対象外と言われると、ほっとするのと同時にもやっとする。
この矛盾した気持ちは、親としておかしいことではないと、いまは思っています。
発達の見立ては、その時点の「今」を写したもの
診断や発達検査は、「その日その場で見えたこと」を専門家が整理したものです。
一生変わらない札を貼るためのものではないんですよね。
子どもは伸びるので、数ヶ月後、1年後には見え方が変わることもあります。
うちの息子も、療育センターに通いはじめた頃と、通級に3年通ったあとでは、まったく別の姿になりました。
集団で座っていられる時間も、困ったときに「助けて」と言えるかどうかも変わりました。
だから、あとになって「いまは大きな困りごとはないですね」と言われる子もいます。
ただ、それは「最初の見立てが間違っていた」ではなく「その間に伸びた」ということだったりします。
私は看護師をしていたので、検査の数字を「答え」みたいに読んでしまう癖がありました。
でも子どもの発達って、そんなにきれいな線が引けるものじゃないんですよね。
「困りごとが減った」ときこそ、通った時間は効いています
ここがいちばんお伝えしたいところです。
療育や通級でやっていることは、その子が困っている場面の練習です。
- 順番を待つ
- 気持ちが崩れたあとに戻ってくる
- 困ったときに大人に言葉で伝える
- 自分の得意なところを知る
こうした練習をした結果として困りごとが減ったなら、それは療育が効いたのであって、必要なかったことにはならないんです。
風邪が治ったときに「薬を飲んだのは無駄だった」とは言わないですよね。
それと近い感覚かなと思っています。
診断がつかなくても、支援につながる入り口はあります
「グレーゾーンだから対象外だと思っていた」という声も、よく聞きます。
でも実際には、診断名がなくても相談・利用できる仕組みがいくつもあります。
- 自治体の療育センター・児童発達支援センターの発達相談や親子教室:診断がなくても相談できるところが多いです(内容は自治体で違います)
- 学校の通級指導教室:診断名ではなく、学校生活の困りごとをもとに就学相談などを経て利用します
- スクールカウンセラー・特別支援教育コーディネーター:まず学校の中で相談できる窓口です
- 医療機関での相談:気になる時点で受診しておくと、あとで動きやすくなります
うちの息子は療育センターと通級で支援を受けてきましたが、療育手帳も受給者証も使っていません。
制度の入り口はひとつではないので、ひとつ閉じていても、他の道からつながれることがあります。
それでも迷うときに、私が見ている3つのこと
「通い続けるべきか」を判断するとき、私はこの3つを見るようにしています。
- 子どもが、その場所を嫌がっていないか
- 家や学校での困りごとが、少しでも動いているか
- 親である自分の気持ちが、そこで少し軽くなっているか
3つめは、あとから気づいたことでした。
療育や通級は、子どもだけでなく親が相談できる場所でもあるんですよね。
「これ、うちだけですか」と聞ける相手がいるかどうかで、日々の消耗はずいぶん変わってきます。
通わせる意味を、子どもの変化だけで測らなくていいと思うんです。
私が一人で抱えなくなったこと自体が、家の中では大きな変化でした。
「治す場所」から「得意を伸ばす場所」へ
困りごとが落ち着いてくると、次に出てくるのが「じゃあこれから何をしよう」という気持ちかなと思います。
うちの場合は、そこで息子の「好き」のほうに軸を移しました。
宿題は15分ももたないのに、プログラミングだけは「もう5分だけ」と言う子だったので。
苦手を埋める時間から、得意を伸ばす時間へ、少しずつ切り替えていった感じです。
その流れで通いはじめたのが、LITALICOワンダーというプログラミングとものづくりの教室でした。
決まったカリキュラムを追いかけるのではなく、その子の興味に合わせて進めてくれるところが、うちの息子には合っていました。
無料体験があるので、雰囲気だけ見てみるのもいいかなと思います。
まとめ:「健常児だった」は、通わせた時間を否定する言葉ではありません
- 発達の見立ては、その時点の姿を写したもの。あとで変わることがあります
- 困りごとが減ったなら、それは療育が効いた結果かもしれません
- 診断がなくても、療育センターの相談や通級など、つながれる入り口は複数あります
- 通い続けるか迷ったら、子どもの様子・困りごとの動き・親の気持ちの3つで見てみてください
- 落ち着いてきたら、苦手を埋める時間から、得意を伸ばす時間へ移していくのもひとつです
「大げさだったかも」と思った日の自分に、いま声をかけられるなら、こう言うかなと思います。
早めに動いたから、この子は安心できる場所を持てたんだよ、と。
同じところで立ち止まっている方に、この記事が少しでも届きますように。


